連休中、ひょんなことから野麦峠が気になり、数少ない昔の画像を見ていました。
これは15年くらい前のビグスクブームの時代、
私が25歳前の頃に初めて買ったバイク。
当時はツーリングなど全く興味が無く、専ら街乗り用でしたが、
購入して約半年後、初めて1泊2日の長距離ツーの時、野麦峠で撮った画像です。
長野県のビーナスラインの帰り、既に女工哀史の舞台である野麦峠の事は
概要程度は知っていたので、来てみたけど、思えば当時から渋い場所を選らんで
ました。他の画像も道祖神が多かったし。
今回は、その思い出のある野麦峠へ、行って来たので紹介します。
連休中はずっと雨で、7日間で外に出たのは1度の1時間弱だけ・・
週末は晴れましたが、この地方は大雨となりましたが、
幸い土砂崩れなどもなく、野麦峠まで行けるようでひとまず安心。
峠は岐阜県と長野県の県境にあり、思い切り愛知県外で気にしつつも、
一度気になり出したら欲望には抗えず、歴史の勉強の一環だと心に決め、
5月23日の6時過ぎに、揚々とした気分でツーリングへ出かけました。
ルートはR19号。
長野県へ入ると、県道26号線へ上高地方面へ。
この辺り、大河である木曽川の源流がある。
途中、野麦峠オートキャンプ場を通る。
調べて見ると最近のキャンプ人気で、どこも予約が取るのは難しいと聞きますが、
流石に盆休みは埋まってましたが、交通の便が悪いからかな?
ほぼ空きだらけの状態。
平日空いているならば、利用しても良さげなキャンプ場だ。
そして旧野麦街道の入口へ到着。
ここから野麦峠まで旧道で1.3kmあるみたい。
ハイキングも考えていましたが、往復4時間ほど掛かるとネットで書かれてましたが、
それは峠にある野麦峠の館~野麦の館(別の建物)のルートの事だった・・
ツーリング前の時点で情報が錯綜気味だったので、今回ハイキングは断念しました。
聞くも涙語るも涙の野麦峠。
明治から大正時代の13才前後の工女が、正月とお盆の年2回、
出稼ぎ先である諏訪や岡谷の製糸工場から、里帰りのために歩いた街道で、
この冬の野麦峠(標高1,672m)が最大の難所でした。
何百人もの工女の中には、谷へ落ち命を落とす者が大勢居たそうな。
当然、深雪や、時には極寒の吹雪もあるなど、
本当に命懸けの峠越えだったのが、容易に想像できます。
この辺りなら、谷へ落ちる心配はありませんが、
やっぱり当時の工程を歩いてみて、どんな道だったのかを知りたいと感じます。
現在は車道があるので、野麦峠へは楽に行ける。
そして野麦峠、お助け茶屋に到着。
車は少なくバイクの方が断然多い。
まあ県道26~39号は、ライダーには気持ちの良い道ばかりですしね。
まずはお助け茶屋へ。
ここは江戸時代の頃に、体を休めたい工女のために設けられたのが始まりで、
現在は昭和45年に、麓にある野麦集落の家屋を移築したとあります。
小屋には多くの写真が飾れていました。
趣のある渋い造り。
そして猛烈に腹が減っており、客はおらず店主も暇そうで、
「いらっしゃい」と、声を掛けて来たが、食事するかどうか迷った。
私が一番思い出にあるのがこれ。
初めて来た時は夕方17時頃だったので、小屋は終了しており、
今から10年くらい前に再訪した時に食べました。
当時はこの地方の郷土料理であるこの朴葉みそが、
何故か朴葉みそステーキと勘違いし、おかずがほぼ味噌だけだったのに驚きました。
味噌は美味かったが、ご飯の量も少なかった記憶もあり、
強気な価格は今も変わりません(笑)
今回は私の胃袋には物足りず、またこの先高山方面まで通行できるのを
確認したので、食事は道の駅で済ますことに。
他には定番の蕎麦やカレー、親子丼などもありました。
峠の由来のひとつ。
また当時は出稼ぎ先妊娠し、身重の体で峠を越える工女も多く、
この野麦峠で流産したことから、野産み峠とも言われる。
当時の工女の服装。
この辺りでは、雪ん子みたいな藁で作られた蓑を身に着けてはいなかったのかな?
クマザサが生い茂る中を散歩。
たぶん気温は10度くらいで、風がとても冷たい。
悲哀な女工哀史の舞台となった場所もあり、身も心もより寒く感じる。
乗鞍岳が見えた。
今日は生憎、雲にほぼ覆われている。
その乗鞍岳、今年中には登山しようかな。
ここは日帰り登山でき、前泊要らずの文字通り名古屋から日帰り可能。
他の観光もするならば、先ほどの野麦峠キャンプ場も近いので、
色々余裕が出て来る。
参考的に去年の立山の様子ですが、残雪が無くならないと、
道具が無い私には厳しいので、真夏までは行けないと思う。
野麦峠を象徴する兄妹の石像。
やはり映画「ああ野麦峠」をレンタルして観るべきか。
ここまで名古屋から下道180km・約4時間掛かりますが、
今回は目的地ということもあり、ゆっくり野麦峠を散策出来ました。
ツーリングルートとしても気持ちの良い場所なのでおすすめです。
さあ帰路は一度高山側へ抜けます。
15年前のビギナーの頃は夕方で薄暗く、しかも雨の中だったので不安な気持ちで
いっぱいでしたが、今では数も熟したので、こういう峠道も平気です。
よく分からないけどアオダイショウかな?
道路の真ん中にヘビを見つけ、轢かれないように道路の端へ導く。
こうしてみると可愛いもんだ。しかも縁起が良いと聞くし。
また少し先の集落に渋い木造の学舎があり、立ち寄ろうかと逡巡しましたが、
結局先を行くことに。後で調べるとそれが野麦の館だったようだ。
R361号へ出ると、道の駅飛騨たかね工房へ。
ここも車は少なく、昼時でも食堂には客は0。
数える程度しか通らないけど、いつも人が居ない感じがする道の駅。
まあ食事中に、ライダー中心にそこそこ客が来たけど。
寒かったので高山ラーメン(¥650)と、飛騨牛コロッケ(¥200)を選ぶ。
食事メニューに際立つのは無いが、この地方定番のメニューは抑えてある。
現地の道路標識には氷点下の森までとあり、ナビでも通行止めになっている様子。
御嶽山の北に位置する鈴蘭峠へ抜けれそうだけど、
必然R41号で帰ることになるだろうから、今回はR361号へ戻る。
それにしても普段この区間のR361号は通らないけど、
本当交通量は少ないし良い道じゃないの。
しかもR19号までため息が出るくらいの快走路が続く。
この辺りからライダーが多くなって来た。
雲の動きが早く、一時的に雲が晴れれば刹那のシャッターチャンスがあると思い、
15分くらい佇んでいましたが、残念ながら晴れることはありませんでした。
思わず拝みたくなる御嶽山。遠い富士山よりかこっち派なんだよね。
毎回同じことを言ってるし、もう御嶽教にでも入信しようかしらん(笑)
その後、木曽馬を観察し、
脇道へ飛び込み、奥入瀬渓流みたいな川べりで休憩したりと、
寂しい野麦峠からは一転、暖かい陽もあり王道のツーリングスポット巡りになった。
そしてまだ13時ちょい過ぎですが、また興奮して昨晩は寝れなかったし、
日が落ちると西日眩しいので、早めに帰ります。
最後は道の駅大桑で、今年初のリンゴソフトクリーム(¥300)を食べる。
ここも閉まるのが早いので、早めに切り上げた理由。
行きと比べて帰りは虚無に近いので、
大概、中津川から高速道路で帰宅しますが、
ETC休日割引がなく、精々30分程度早くなるだけで¥1,800は微妙なので下道で。
また下道の場合、山間部へ退避するルートを選ぶことが多いですが、
眠くなる可能性があるので、あえて車線が沢山あり緊張感のあるR19号へ、
小細工無しの正面突破。
まあ幸い眠気が出ることはなく、17時無事に帰宅しました。
17連休中ですが、大満足のツーリングとなったので、
来月までは大人しく出来ます。
走行距離 407.8km
走行燃費 23.8km/L